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リチャード・パンチャスは彼の人生を音楽に捧げてきました。日本語と中国語を流暢に話す彼は、偉大なるヴァイオリン奏者・指揮者そして人道主義者であるユーディ・メニューインとともに1987年にAYOを設立しました。
日本、韓国、中国、台湾、香港などのアジアで、指揮者・記者・音楽教育者として30年住んだパンチャスは、その経歴を通じて、アジアの優秀な才能を開花させ、アジアの地域を結びつけるオーケストラが必要だと考えるようになりました。
1980年代にはかの上海音楽院で常任指揮者として活躍し、音楽院のオーケストラとツアーを行い、南京、杭州、福州のオーケストラの客演指揮者として演奏し、ハルビンでは夏季芸術祭の復活の一役を担いました。1984年には韓国でのソウル交響楽団との演奏会で、上海音楽院のオーケストラとともにアメリカ大統領ロナルド・レーガンのために全アメリカ音楽のプログラムを指揮するという名誉を授かりました。近年再び上海音楽院で、サンフランシスコ交響楽団の副主席ビオラ奏者、元上海音楽院の生徒であったリュウ・ユンジーをソリストに招きマルティニューのビオラとオーケストラのためのラプソディーの中国初演を果たしました。
1987年以来パンチャスはアジアユースオーケストラのために全力を注ぎ、それによりユーディ・メニューイン、セルジュ・コミッショーナ、ヨーヨー・マ、ギドン・クレーメル、エリー・アメリング、チョーリャンリン、ギル・シャーハム、ヤン・ウク・キム、アリシア・デ・ラローチャなど、AYOは世界の名だたるアーティストとの共演を果たしてきました。それは評論家によって「驚くべきオーケストラ」「世界中で最も優れたユースオーケストラ」などと絶賛されるに至りました。
1990年メニューイン卿
が
最終公演における最後の曲の指揮にパンチャスを招いたことに始まり、AYO発足以来、毎年、最終公演における最後の曲はパンチャスの指揮により幕を閉じることが伝統となっています。これは、ベルリン、東京,大阪、ロサンジェルス、ハワイ、シドニー、マニラ、香港またイタリアのミラノで聴衆の心を打ちました。2002年パンチャス指揮によるAYOは日本、台湾、中国、香港のツアーでかっさいを受けました。2004年のアジアユースオーケストラ15周年記念コンサートでは再びセルジュ・コミッショーナと指揮を分かち合い、日本、中国、マレーシア、シンガポール、フィリピンそして香港で9公演を指揮し、香港と中国ではテレビ放映されました。
アメリカの作曲専攻学者のルー・ハリソン、指揮者セルジュ・コミッショーナ、フェルディナンド・レイトナー、ジョセフ・クリプス、そしてパンチャスは、これまで耳にする機会の多くなかったアメリカの質の高い楽曲をルーマニアで開催された「アメリカ・ザ・ビューティフル」などで演奏しています。
ニューヨークのウティカに生まれたパンチャスは、これまでの音楽と芸術への貢献が認められ、2000年には香港政府よりブロンズ・バウヒニア・スター賞を授かり,同年12月には56才ながら永年の夢であった個人パイロットの免許を取得しました。
ジェームズ・ジャッド
客演指揮者 ジェームズ・ジャッドは現在ニュージーランド交響楽団の音楽監督を務めながら、フランスのNational
de Lilleの主席客演指揮者を勤めています。ニュージーランド交響楽団での7年のキャリアの間に、Copland, Bernstein, Vaughan Williams, Gershwinの作品を含む数多くのレコーディングを行っています。ニュージーランド交響楽団は2000年のシドニーオリンピック芸術大会での公演や、2003年のAuckland International Arts
Festival、また大阪での国際オーケストラフェスティバルでの公演を通じて国際的評価を受けるようになりました。
・略歴・
ジェームズ・ジャッドは英国に生まれ、ロンドンのTrinity
College of Musicを卒業後、Lorin
Maazelの招待によりCleveland
Orchestraのアシスタントコンダクターを務める。その後、Claudio
AbbadoのEuropean Community Youth
Orchestraの準音楽監督に指名され、現在でも同オーケストラの名誉音楽監督を務める。その後、ベルリン交響楽団、イスラエル交響楽団をはじめ、複数のオーケストラで監督を務め、ウィーン交響楽団、プラハ交響楽団、ライプチヒ・ケヴァントハウス管弦楽団等の一流のオーケストラで客員指揮を務めている。また、米国のオーケストラのサクセスストーリーともいえるフロリダフィルハーモニー管弦楽団の監督を14年務めている。
Photo by Lord Snowdon
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